« 永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十三) | トップページ | 永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十五) »

2019.07.18

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十四)

 前回で、ご紹介した本を今朝、読み始めた。まづ序文。これは1938年にチューリッヒで書かれものと知る。和暦では昭和13年で、僕が昭和16年の生まれで、この文章は僕より年寄りだ。この時、ウィンナーさんではなく、ブルンナーさんは四十九歳。なんと、素晴らしい年齢だろう。感動する。その彼が、僕の明治学院高校の時の教科書(我らの信仰)で、ある幸せは、なんと表現したら良いか。わからない。その彼が、人間のバリバリの時に、次のように発言する。「私は、その人々が、主要な中心点に関してこれ以外の見方はできないという希望に満ちている。」と、書いたのである。だいたい、この時期に(戦前)彼は、同時期(昭和10年)に「我らの信仰」を書いて、日本で出版されたのが、昭和12年、なのである。それを、戦後の我々は、教科書として使用した。さらに彼は「聖書に関する特定の教義ではなく、少なくとも聖書そのものが最後の権威である限り私は、、、」と。要するに、残念なことに。第一次世界大戦を乗り切ったヨーロッパは、またまたでかく黒く、深い闇に覆われ始める、という時期なのである、などと言わなくてもわかることである。さらにいえば、人間性の限りなき闇が、またまた、ヨーロッパを、悲劇と悲嘆の巷に投げ込む、前の時期なのであると、知るのである。この時、彼は、「聖書」を拠り所にして、その真っ暗闇のヨーロッパを心配しながら、書いている、ということがわかる。聖書は、人間の罪を高らかに言い過ぎて、嫌がられるのであるが。僕なども洗礼を受けてからも。大いに反発し。て、幾多の失敗を繰り返し、絵画の道に。わずかの希望を見出しならがら、戦後の混乱を引き受ける若者として、生きてきた。などと、格好をつけても仕方がないが、ブルンナーさんは、なんとも誠実に、「神学の教師は・彼がどんなに願ったところで・誤りのないものではない、ことを十分に確信しているので、、、、私の研究をすべての人々に検討していただくために、ここに本を書いた」ということを正直に、言っているのである。彼はヒトラーが1934年、ドイツの総統に就任した時、何を考えていたのであろう。恐ろしく、勘のいい人であるから、おそらく。人類の破滅的行為が、人間の罪の集積によって、何かが世界史に発生していると、感じていたのだと思うのは、あながち間違っていないと、思う。だが、それが神の審判的意思なのか、人間の罪性の結果なのかを、問う時には。かなりのストレスが、神学者(教師)として、あったと思うと。僕は、七十七歳になって、五十歳の若い精鋭の神学者の苦悩の祈りを、聞いているような、気がするのである。僕は、人間の罪を信じるクリスチャンであるが、同じ現象が、今もまた。アジアやヨーロッパを、覆い始めた、と書くことは、やめるべきかもしれない。が、画家筒井友美(下のネット上の作品)の、作品の「帰る場所」は、一体何を表現したのであろう。と、思いながら。今度説明を、聞いてみたいと思っている。

ーーーーーーーーー

 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

この駅がチューリッヒに出る、初めの宿泊駅。名前は忘れた。ホテルの部屋から撮影したもの。この時には、白黒富士フイルムを使用した。要するに、右も左もさっぱりわからない時、左側方面が、チューリッヒ駅だと記憶している。まず驚いたのが、白夜。一向に夜にならない、のには。慌てた。まさか、日でも間違えていたか、と思い。何かと、何を確認したか忘れたが、慌てふためいて、動揺したのを覚えている。

Photo_20190718101501

024_20190718102201

これが本物の、チューリッヒ駅構内。やっと着いた、という感じだ。で、ここが、ブルンナーさんの故郷だと思ったが、ともかく次は、ベルンを目指した。

0018

改めて、神学者ブルンナーの写真。若い時は、本当に、キザだったのだなー、と思える。僕と、いい勝負であるよ。

Photo_20190718102901

 

 

 

 

 

 

|

« 永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十三) | トップページ | 永遠の生命論、人間存在の希望の研究(三十五) »