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2019.07.11

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(十七)

 ところで、おかげさまで、病が少し癒え始めると、僕特有の感性が戻り始めたことがわかる。感性とは、個性なのであって、同じ絵を見ても感じ方は違うのではないか。僕は、僕の感性を愛している。などと書いて。表題に素直に戻れるか。コーヒーを一杯飲んで、ブルンナーさんの本「永遠」を、さらに書くためワープロが打ちやすいように、ベットの上に、内村鑑三全集の本を三冊重ね、その上に、秀才高校である近所の、武蔵野高校などの学生がよく使う書見台を立てて、「永遠」をセットしている。なぜ武蔵野高校かと言えば、その近くの文房具店から書見台を買って、勝手にそう予測したに過ぎない。が、ともかく、そう言う格好で書いている。別に、すでに病人ではないつもりでも、こんな格好で書いていても、様になるのは、病人だからであろう。ただ、このベット方式は気に入っていて、多分死ぬまで、こんな格好で書くことになろう。昔の作家ならば、作家気取りで病院のベットまで、わざわざ原稿用紙を持ち込んで、何やら作家らしく、出版社の編集者をはべらせて、先生、お疲れではありませんか、などと肩を揉ませて、すまないネなどと。言うところであろう。なにせ、一枚いくらの先生で、そこへ行くと僕は一打ちごとに、自分の経費がかかるだけで、一銭のぜにも懐には入らない仕組みである。これが、僕を痺らせる(恍惚)のであって、バカヤロウ「永遠の生命」が金で手に入るのなら、こんな気楽な与太話はない、のだから。無料こそ、本物の永遠の生命が、書けると信じている。腹いせに、ブルンナー先生の代わりに、書いてしまったが、結局今日も、こんな話で始まった。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

ブルンナー先生の故郷スイス。トップ オブ ヨーロッパと言われる場所から、僕自身が全部実写したもの。カメラは、今はなきコンタックスと言う名機。デジタルではなく、日本の最高のフイルム、富士フイルムのフイルムを使った。多分絞り側か、シャッター側か忘れたが、どちらかを固定して撮影した記憶がある。ともかく、今更ながら驚くことは。この現物の、撮影された作品の質の高さである。これが、パソコンやスマホで再現されるとは、あの時、想像もできない時代のものだ。ともかくも、スイスの世界的神学者エミール・ブルンナーの、真摯な神に対する愛と信仰が、清純に表されていると思う。この、一番上の写真で説明すると、画面の先が、何おか言わんヨーロッパなのである。具体的に言えば右サイドがオーストリア側、真正面がフランスドイツ側、やや回り込むが左側がイタリアである。もちろん大筋でで、あるが。なんと、厳しく美しい、ことか。これが、ヨーロッパ文明なのである。それが、また世界の惨劇の元にもなる、のであるが。

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