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2019.08.11

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(九十五)



「白鳥泥棒」(エリザベス・コストヴァNHK出版・2012)「上」を、読んでいる。物語の主人公は、今の所「絵画」である。エリザベスはベストセラー「ヒストリアン」を書いて、世界を制覇した。人。おそるべき人である。その123ページ(15・ケイト)を今読み終わった。詳しくは書けないが、要するに女から見た、男の誠実な性を書ききっている。とは、七十七歳の、僕のショックになった。僕は夢中だった。勃興する性を抑えるというか、制御するというか。そういった意識もないまま、僕はカルヴァンの人間論に従った。要するに高校生の僕は、「カルヴァンの人間論」に手を触れたのである。明治学院の近くに、明倫堂という書店があって。今はコンビニだが、昔はそこが本屋だった。その先に、小説家長谷川伸の立派な家があり、僕はよくその本屋で立ち読みをした。そこに、その本があって、僕はそれを買った。今も持っている。その冒頭が、僕を支配した。「人間の真の自己認識は、人間の神認識の反映である。」どこからの引用とは書いてない。大文字で、まず書かれているから、それはカルヴァンだと解釈した。が、書いた人はトーランスという人で。この言葉は、敗戦国家日本の僕の、国家テーマと大きくぶつかって。鬼畜米英、激戦の末に負けたわが国が、僕の国である時期。多感な高校生にとって、それは。あまりにも意味不明な、人間社会であった。から、僕は、その言葉を採用した、と思う。要するに、真の人間認識をしたかったのである。で、僕は、カルヴァンのキリスト教綱要に手を出し、バルトの「ロマ書」を読み、ブルンナーを読んで、高校から直の明治学院大学に進んだ。そんな僕を支配したのは、僕の性である、が。僕は必死に性である自分の、生をさらに、教会に行きながら見つめていた。そんな時に、僕は。コストヴァが書いた、受け側の女性の性を知らないのは当然で。それを読んで、僕は、なんとなく、よくわかるような気がした。僕にすると、性とは、突撃的で後退せず、激しく盲目的で、単一の目標だけがある、とばかり思っていたあの時期。あとは、激しく膨張する馬を静めて、僕は自己と戦っていたが。僕は、コストヴァが、前の妻の初めのデイトの時の、あの受けがわのデリカシーに。いかにも女性らしさを感じたので、すごい書きであると感心した。あの頃、エイズが流行って、コンドームをしなければならない、という男の焦りまで、見事に書いている。と、僕はそれをしなければならない、エイズよりもっと前の、僕の性を思い出した。白鳥泥棒は、ギリシャ神話が主題である。その中に秘められた、ヨーロッパの秘密の何かを、書くのだろうが。僕は、ヒストリアンで見せた、あのカトリック崩壊の意外性を覚えているから、さらにこの小説を読む。という喜びに満たされて、今日も残暑、だ。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

で、今回は僕の絵画。

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