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2019.08.04

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(八十六)

今日は明らかに、日曜日だが。僕は、何も特別なことはしない。ただ、急に。意識の中に、村田四郎が書いた「ロマ書」という分厚い本が、頭に浮かんだ。村田は、僕の師だと僕が勝手に思っている、山永武雄の師である。し、明治学院の院長でもあったから、僕は。これら一連の人たちが、僕の「カルヴィニズム」の源流である、と思い始めている。僕は、棚から村田の本を出して、今手元にあるが。それは、カルヴァンなどを読んでいて、結局。クリスチャンとは、パウロと言うすぐれた聖書執筆者、を得て。初めて可能となり。こんなにも長く、1500年強の年月に、耐え。我々に影響する聖書の、ロマ書(今の日本語訳聖書では、ローマの信徒への手紙)が、あって。出来たキリスト教だと、思うからだろうと、思う。現代の神学者バルトも、このパウロを解釈して、難しい。彼の時代(ブルンナーの時代でもある)を解釈したのであるが。それも、少しは、僕も明治学院高校の頃、読んだのである。つまり、明治学院は、あの頃(僕が教育を受けた時)。戦後のマッカーサー政治が生きていて。いわば、ローマ帝国の国教となって、世界宗教として発展するキリスト教と、酷似していて。いわば政治というエネルギーを得て、日本で少しは。発展したということが、僕にもやっとわかった。宗教改革時代も同じで、カルヴァンは。野にある宗教家ではなく、ベルンやジュネーヴで活躍した、いたって政治的に力量のある、フランスの亡命宗教家(カトリックからの)として認められたからこそ。その鋭い、近代的聖書理解が通用していったのだ。と知れると。僕は、現代の。完全な個人主義時代の宗教というものが。このような、ネット手段を持てた、ということ自体が。やはり、なんとも尊い神の業であると。つくづく、有り難く感じるのである。もはや、世界の政治力で、キリスト教を宣教する(広宣する)時代などは、ない時代なのであるが。であるからこそ、新たな時代がすでに到来したのだと、考えながら。村田四郎のロマ書、を。読みなおしているのである。で。僕は、今も。パウロの一字一句が、これほど鋭く。我々を打つとは、とても信じられない。のである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

カルヴァンがフランスのカトリック亡命者である、と明確に意識すると。僕は、ここに、僕の実写したヴァチカンを掲載したくなる。

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