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2019.08.03

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(八十四)

ジュンク堂で、いよいよ「キリスト教綱要」を検索した。明治学院高校の時に、ちょっと読んだもので。もちろん超有名であるから、プロテスタントキリスト教世界では、出版が切れない本である。その売り物は、要するに。近代社会を形成した神学、というもので。世界史、などを勉強することになると、どうしても避けて通れない、本である。が。それを、読んだもの、などいるわけもないと。一般世界史を勉強する学生が、読めるようなもの、ではないと判断できる。しかし、今、人間がここまで、劣化する現象の前で(核戦争の危機、温暖化など)、僕に言わせれば。いよいよ、読まなければ、ならない、本だと思うのである。単に、一部の大した人数もいない、日本のキリスト教徒などは頼りにもならないが。一般の方も。読まれたらいいのではないか、と思う。この辺りは、日本思想史とも絡んで、ややこしいことになるが。それをあまり、気にせず読めば、なんとなく安心する世界が、あるいは。「ある」かもしないし。僕が、びっくりしたのは、こういったことが。ネットやリンクで、ドイドイ調べられるので。興味のある人がいるとして、それを利用し。さらに、このような面倒な話に、首を突っ込める人もいる、のではないか、という時代の風が。すごいと思ったのである。僕らの古い時代では、僕らがそれを知るためには、本を読む以外に、深くはわからないことで。特別に牧師になりたくて、神学部などにいった人なら、勉強することであると、思うものの。しかし、なんらかの方法で、こういった一般的でない、特殊な本が。今の、人間劣化を受ける現代社会の。いささかの問題解決に、少しは興味を持つ人が、あるとして。昔よりは、少しはテクニカル情報社会で、役にたつ時代になった、と思ったのである。要するに、「教会で信者を教育する時代」は終わった、ということ。を、どのような方法で、新たにキリスト教は解決するのか、が課題で。政治力で教会に大衆を集め、そこで教育をしつつ国づくりをする(礼拝をする)、四百年前の宗教改革が。今の時代でも、どのような力量が、残っているのか。この稀有な本で、検証することは、いうまでもなく絶望的で。無教会の僕が、無力な信仰を提げて。僕だけの薬籠にせず、多くの人とともに。少しは役に立てるものにする、という悲願は、ある。と思いつつ、神を信じるという素晴らしい経験、に達する現代人を、少しでも生み出せれば。僕の目的は達せられるのであるが。で、カルヴァンの第1巻第一設問を、昭和十年の郷司慥爾の訳で書くと、「神に関する知識と我々人間に関する知識との関係およびその性質」という設問を、最新のネット現代訳で書くと。「神に関する知識と我々人間に関する知識とは、相結合している。而して如何に相互に関連しているか」などという、如何にも具体的なことを思わせる翻訳設問には。あるいは、いささかの、反応もあるのではないか。と、思うのであるが。ただし、スピノザのような汎神論ではない、キリスト教の神は。あくまでも、処女マリアから生まれたイエスを、神の子とする宗教であるところが、特徴で。果たして、この高い理解しがたい垣根を、日本人は越えられるものなのか、どうか。まさに、個人的問題と、ならざるを得ないキリスト教信仰は、人間救済の深い問題である。と、思うのである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

スイス写真も、だいぶ飽きたが、しかし。まだまだ千回には遠く。相変わらずの、掲載となると思う。この人物は、僕です。だいぶ若い時のもので、今はほとんど、老いぼれていますが、書くほうがそれに比べ、すごいことを書いていると、自分でも思っています。

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下のスケッチは、僕のものです。全部スイス。

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