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2019.08.13

永遠の生命論、人間存在の希望の研究(九十八)

要するに、連携である。が、日本ワープロそのものはスポイルされている。僕のような、古いパソコン使いは、切歯扼腕するが。これが、日本の言語という最大の文化を失った、日本の哀れな姿なのである。と書いたのは、僕がマックエディットでこれを書き始めたからである。マックとマイクロのワープロ連携は、意外とうまく行っているのかもしれないが、まだまだ。僕にとっては、実験段階にすぎない。こんな面倒なもので、哲学や神学を、まして。永遠の生命を書くのであるから、僕の明治学院的因果も、最高である。と言える。とは言え、これが現実で、今さら、世界は後退もならず。香港で、空港が民主派に占拠されて、しばし。麻痺しているすきに、人民解放軍の戦車が粛々と、国境地帯に集結していると、報道は伝えている。僕が、中華人民共和国をおとづれたのは、1970年代で、それは結局毛沢東の葬式に出たような結果になったが、その頃の中国はいたって貧しく。毛沢東イデオロギーによる、共産主義の純粋性は、経済的には行き詰っていたのだと思う。毛沢東の死をきっかけに、イデオロギーも新たな展開をしなければならない時に、僕は大連に着いた。そこで、約一ヶ月弱滞在して、文化大革命の残滓である中国を、経験したが。その経験は、当時の若者の、生き方に深い影響を与えたに違いない。僕は、結婚したてで、いよいよ日本社会の中で。絵描きなどやっていられない、経済的逼迫を受けていたのは、僕の父親が歳をとって。会社のコントロールが効かなくなり、相当のリスクを負っていた、ということが。僕の新婚生活を苦しめたのである。僕は、必死で我が家系と、父の会社の経済を担当し、そこから当面絵描きを、脇に置いて絵を絶やさず。地味に付き合いながら、主に。社会や会社の中で、色々と。やってきたのであるが。基本的には、僕は、教会派のクリスチャンから、無教会派に移行し。中国旅行を境に、イデオロギーとしての共産主義にも、別れを告げて、もっぱら。日本資本主義の真っ只中を、かけ抜けたのである。中国旅行は、僕の、共産主義的イデオロギーから、の脱却を図るうえで、大いに参考になった。が、ともかく、その頃の中国は、貧しかった。今や、ワープロ一つとっても、世界の情勢は様変わりして、僕にはわからないが。僕が、こうやってワープロで、文章が書けるというのは、実は日本のローマ字運動のおかげなのである。僕は、ヘボン式の明治学院の卒業生であり、それに目をつけて、かなり研究し。自分も、ローマ字運動を少しして。それを、自己の宝物として。自分の技術能力に取り込み、はや20年は経過したと思う。ので、僕はこうやって、馬鹿みたいに。祖父ネットで、永遠の生命や、ワープロ文化を論じられるのである、と書いて。マイクロワープロを卒業し、マックテキストエディトに、移行したお祝いとしたい。と、思ったのである。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

僕は、銀山平の水彩画を描く準備を終わったので。銀山平の、僕の実写写真を掲載する。僕の水彩画コックピット(アトリエ)は、見事に準備ができている。準備も終わり、何か書いてみたくなり、書いたのが九十八番の祖父ネット、で。ほっと一息、というところ。書くと、描くという準備が完成した、瞬間である。冒頭の写真は、僕の先輩で。僕はこの時、油絵の道具は一切持たず。ただひたすら、ライカデジタルにお世話になった。

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