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2019.08.15

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(101)

国会図書館に行き、反カルヴァン主義の本を調べた。少し読んで、やはりすごいことだと、正直思った。この歳になって、「完璧な反カルヴァン主義」(全く知らなかった)は、きついと思った。まだ、本を少し読んだだけで、今度の土曜日。改めてゆっくり検証するために、もう一度国会図書館に行く予定にしている。ただし、昔の。僕らの国会図書館は、もうないとも思った。いたって、クールな。一言では言えないが、時代はまさに変わったのだと、思い知らされた。それでも、蔵書の回転も、昔と全然違い、早い。その素早さは、完璧である。そして、反カルヴァン主義本はともかく。カルヴァンの英文訳も出してもらった。さすが、別室扱いで。カルヴァンが、ラテン語で書いたものを英訳、したものを頼んだ。見事。カルヴァンは、ラテン語で五冊、フランス語で三冊の「キリスト教綱要」を出版している。そのどれかのラテン語から、英訳したものらしい。詳しくはわからない。が、国会図書館をローマ字検索をすると、いろいろ出てくる。その中から、目を皿のようにして、探した。英文は、いたって優しい単語が並べられている。この本は、かなり多くの言語に訳されたようで、その一覧はない。が、いたって広範な影響が、あったようだ。ここから僕の話は、深刻になる。だいたい、1960年代ごろ。まさにヨーロッパ崩壊を受けて、カルヴァンの見直しが、盛んだったようだ。特にアメリカ神学では、戦争を受けて。神学は、一段と深刻の度を加え。人間と宗教不信は頂点となって、まさに神と人間との問題は。あの頃の、神学者を悩ましたようだ。一体この悲惨は、誰の責任なのか、この惨禍は。アジアの戦争とは全く別な、ありえない繰り返される、ヨーロッパの非キリスト教的な戦争と、その結果は。まさに、キリスト教会を、あるいはキリスト教界を、あるいは神学者を、あるいは信者を、悩まし。まさに答えのない状況の中で。近代を決定づけた、と言われるカルヴァンの神学が、再認識されかつ疑られた。その時僕は、なんとカルヴァン派の、明治学院の学生で。今から思うと、とんでもない教育を受けていたのである。が、今更、日本の。現在の文化的状況が、何言うでもなく知らん顔で。僕は、ただ、古い人間として。このブログで書くだけの、しらけ世界になっている。と、言いながら。カルヴァンの研究をしている。幸い雨は降らなかったが、頭の中に降る雨は、土砂降りで。今更ながら、因果を深く感じて、電車に乗った。

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 筒井友美作品。

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

反カルヴァン主義の本には、まさにこんな真っ暗なスイス、が書かれている。書かれたことが、事実かどうかは、問題で。物議があるらしい。が、書かれたことは書かれて。当たらずとも遠からず、ということが、感じられる。ある城の地下牢の窓から、外を実写したもの。

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