« 永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(156) | トップページ | 永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(165) »

2019.09.19

永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(160)

昨夜、突然。ある古書がついた。普通、ネットの申し込みでは、前払いですとか後払いですとか。いろいろルールがやり取りされて、それで。本が送られてくるのが普通だ。しかし、その前。あるいは同時、と思えるほど鮮やかに。その本はついた。本しか入っていない。後払いでは、振込票が入っているのが普通である。なのに。で、本は「歌に生き恋に生き(藤原義江著・文藝春秋・昭和42年・1967年・第1刷)である。表紙のイラストを見て唖然とした。佐野繁次郎が描いたもの。当時有名な、僕などが影響された画家だ。昔親父の友人で銀座建設という立派な、驚くべき商標権を持つ会社があった(倒産した)。僕は、その会社の社長の横村性蔵という、珍しい名前の人が、僕の父の学校。築地工手学校の同級生であることを知ったのは、かなり後である。息子も、僕と同時で明治学院中学校に入った。どういう関係で、僕が。明治学院に入ったかは、これで大体見当はつくが、ともかくその銀座建設の看板文字は、佐野繁次郎が描い。で、僕は父に言われて、絵の勉強を、働きながら夜学で勉強していた時。親父に佐野先生のところに行くかと、問われて。瞬間に断った人だ。怖気付いたのである。で、僕は着いた本で、一瞬奇異の感じに打たれた。七十七歳だもの。その本を書いた主人公藤原義江。は、超有名人で今更いうこともない。僕は、なんとも記憶が定かではないが、一度この本を読んだことがある。多分父は読書家で、文芸春秋社の本をよく読んでいた。から、それで読んだのではないか、と思う。その藤原を僕が、明治学院のキャンバスで見たのは、学園祭の時である。中国語研究会の机の前で番をしていた時に、前を通る藤原と目があった。それだけのことであるが、噂通りかなりの美男子だった。なりは、あまり大きいとは思わなかった。僕は小柄だから、などは関係ないが。で、かなり後で、色々調べてよく知っているのである。であるが、先日縁があって、知り合いの、美人の奥さんのソプラノが、亭主がバスでリサイタルを開くので、と切符を買った。そのバスが藤原歌劇団で。急に昔を思い出して、古書で、その本を買った、のである。本には明治学院時代の藤原が、学帽をかぶって写っている。が、特に若い時に持った印象と、今から見る印象とでは、彼の特殊性には全然刺激がない。のは、時代であろう。が、中身には泣かされる。実にあの頃のあいの子(ハーフ)の人生は悲惨。明治31年生まれ。僕の父より十歳年上である。古い話ではるが人間ドラマで、とてつもなく興味のある内容である。700円では安い。だが、当時の本の値段は460円、嬉しいインフレである。彼は、一時明治学院に在校したが、ある事件で放校になり、世界をさまよう成功者になった。のは、放校のおかげであると、思う。彼のガンガン変わる奉公もまたよし、というべきか。世界をさまよう彼は、健気に生きていく日本人で。英国人が、日本の芸者に産ませた私生児である(認知せず放り出した)。それもまた、よし。何も少しばかりのことで、しょうげることはないと先輩に教わった。彼は今の僕と同い年、77歳で死んだ。で、僕の人生もそろそろ終わりで、バルトを書くのも必然。もはや、これまで。永遠の生命しか、ない。と、思いつつ藤原本の方を読んでしまう。僕である。

ーーーーー~ーー

 筒井友美作品

「帰る場所」

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

やはり、日本人なので。明覚を。実写。

_0796_20190919083701

下は、佐野繁次郎。ネットから拝借。

Photo_20190919084101

 

 

|

« 永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(156) | トップページ | 永遠の生命論と、人間存在の希望の研究(165) »