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2020.05.24

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(347)5月24日、日曜日(千日祈願)

世界がネットで一体化する、と同時に。コロナで分裂する、という手品を。深く理解することができない、まま。「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」(原書房・2000年・刊行)というおよそ、原題とは違ったタイトルをつけられた、チャールズ・W・スウィニーさんの。本を読んでいた。原題は、WOR′S END に過ぎないが。初めを少し読んだだけで引き込まれるが、翻訳タイトルより。原題の方が的確であると思う、ようになったが。翻訳部本体自身は、素晴らしい翻訳である。英語で原本を、アマゾンですでに申し込んであるから、いづれ手元に来るとは思うのであるが。果たして、原文はどうなっているか。楽しみなのは、日本に原爆を落としたB-29の、操縦者としてのスウィニーさんの。その名機(B-29、正確にはボーイング-29型、だと思う)との出会い部分が、昨日の主な読み、となった。で、僕は別に少し、マタイ伝の英語聖書と、日本語聖書を、対訳で照らし合わせながら。英語の、主語と動詞に構造を作り上げる、その鬱陶しさと、その単純なやり方に。改めて感動しながら。中学生で英語に接触したのであるが。それまでは一切、野球のベースボールさえ、なんのことやらわからなかった。ベースボールがラジオから聞こえてきたのは。信州の今なら佐久市の。ある一集落で。近くに小諸に行く、煙を吐く小海線が走っていた。ラジオから、なんやら聞こえてくるベースボールを。何か、理解できなかった僕は。それが、なんであるかを聞く友人も持っていなかった。日頃、村の他の子供たちが。そのラジオを聞いていて、お互いに何やら面白げに言っていても、それがなにであるかを僕に。教えてくれる友達は全くいなかったが。今ならそれが、野球中継の戦後の始めであると、知るのである。そのうち同じラジオで聞いたのは、落語と講談(主に寅三の、清水の次郎長)。で、面白くって、面白くってラジオにかじりつて聞いていたが。まさか、それから数年。親父が僕を。上野の鈴本に連れて行ってくれて。一番前で大口を開けてげらげら笑っている僕が。有名になったことがある(その後、何度か連れて行ってもらい)。このおぼっちゃまのように笑ってくれると、商売が繁盛して嬉しいとかなんとか。高座から言われた僕は。落語家になる気持ちは全くなかったが。そのころの少年の楽しみは、その程度の。はかないものであった。が、僕は。当然、今の落語などチャンちゃらおかしくて、聞いていられるものではない。で、原爆本の著者が、飛行機に乗りたくて乗りたくて。努力に努力を重ね。重ねして。やっと操縦士になり、B-29に初めて出会う記事は本当に。人間の真剣さが、彼をして結局。ヒロシマ長崎に原爆を落とす自分を作っていく、まともで真摯な勉強家の、青年の冒険心に富んだ。真面目な青年の、大空の人生が。なんとも強く深い悲しみとして、僕を打ったのが。昨日の読書で。空は曇っていたのである。が、今日は晴れとの予報がある。

 

Dsc00431

ima kakitsutsu aru pari eotorannze

 

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 筒井友美・「帰る場所」

 go honnin no kyodaku wo e te, keisai shite imasu

 

  https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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