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2020.08.01

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(415)8月1日 土曜日(千回を目指して)

急に、いつもの僕の読書癖の様に。「秦剛平」さん読み、が急激に減退した。のは、結局のところ、聖書は。長い間に、様々に人間の手が加わり。改変されながら、ほとんど原書らしいものが、ない。と、わかったからである。新約聖書は、そうであるとは。かなり前からわかっていたが、旧約聖書(あのユダヤ教すら)まともな原典など、ないのであると知ったときのがっかり感は。論語読みの論語知らず、という言葉がある様な。事態に陥ってしまった。プロテスタントの信者の僕らは、どうしたことか。旧約聖書にはあまりなじまないが。だからこそ旧約聖書は、原典があって、ヘブライ語を勉強した時も。テキストに使われたヘブライ語は、本当に古いもので。聖書例証されると、それはかなり古い、徹底的な研ぎ澄まされた言語。ぐらいの高い意識でヘブライ語を勉強していたが。だんだん勉強が進んでいくと。さにあらず、ヘブライ語の現代語が出来上がるのは、つい最近で。イエフダーとか記憶する人が、なんとか。戦後の、イスラエル再建の時に現代ヘブライ語を「造語」して。凄まじい努力をし。なんとか今に復活した、というところまでは勉強していたが。戦前ドイツでも、ヘブライ語を話すユダヤ人などいなかった、ということも知ったのであるが。考えてみれば、彼らにヘブライ語を保持する理由が、ほとんどないばかりか。ユダヤ人という血統的人種は存在しても。長い間に、各国に寄留していて、そこにいたユダヤ人はもはや、ユダヤ人としての言語的存在形式など。寄留先の言語に馴染んで生活する彼らの環境から。ヘブライ語の保存などありえない長い間の。寄留ともいうべきでないその国の人間に、なりきっている。その国の人間、なのであると意識されて生活する人々の。ヘブライ語の聖書など。原典として保持しうる環境など。全くない。ということは、おぼろに知ってはいたが、まさか、旧約聖書ぐらいどこかで。それはユダヤ語(ヘブライ語)で長く保存された聖書、ぐらいに勝手に思いこみ。イメージしていたのであるが。旧約聖書も、まさに本当に原典がなく。新約聖書と、同じで。原典がない以上、いろいろ人の手が加わり。まさに、ほとんど、原形を留めないものである、式の書き方をする秦剛平氏を読み続けていると。いつの間にか我に帰り、原典がないのは当たり前で。聖書全般そのものが、実は散々人の手が入り。筆写されながら、改変され続けていた書物に過ぎない。と、認識したとたん。僕の信仰は、一時。音を立てて崩れ始めたが。その滑落崩壊も、精神というバランスシートでなんとか。力学的に止まって、大崩壊や大決壊までには至らず。なんとかかんとか、やっと堤防を緊急修理して。再び以前より豊かな、豊穣の実りの秋を迎えそうである、と思った途端。今度は、日照不足であるか、などと。精神の旅も容易でないと知って。今日も、聖書を。改めて秦剛平訳の旧約聖書で、読んでみるつもりになっている。が、彼の翻訳は本当に面白く、リアリティーが聖書に感じられる。ので、信仰者の僕の、真摯な信仰生活を活性化させてくれると、思っている。東京はコロナがますます増え続け、神に祈りて。何を祈るのであるか、国家財政赤字がリアリティーになってきて、か、自問自答して迷っている朝ではあるが。

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 筒井友美・「帰る場所」

 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 筒井友美ホームページ https://tsutsui-tomomi.jimdofree.com (HP)

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これらの写真は僕の実写。この辺り茨城県五浦付近。ここから石油が出るという、ニュースは。僕の貧しい脳天を打った。僕がここに行った時、本当の日本美に触れたのであるが。1枚目の草むらも美しく、2枚目は岡倉天心等が学び舎を作ったもので、再現されている。三枚目は、そこら辺りから有名な六角堂を撮影したもので。そのあたりの岩石から石油の埋蔵が、予想されると。いう、悲しきニュースが現実化するので、あるか。

 

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