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2020.07.30

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(413)7月30日 木曜日(千回を目指して)

秦剛平さんをもっぱら勉強している。のは、クリスチャンの僕にとって、実につらいことである。確かに、翻訳上のディテールを。あそこまで追求されると「聖書」も、立つ瀬がない。モーセ・レプラ説の追求とか。キリスト教にとって最高に重要な、七十人訳の聖書が。結局、ユダヤ人がローマ帝国領地、アレクサンドリアで生きていくために、ヘブライ語の聖書を。ギリシャ人に受け入れやすい様な用語で、適当に。うまく翻訳している、という実例を秦さんは挙げて。さらに映画「アレクサンドリア」の。素晴らしい知的美人女優、レイチェル・ワイズが演じる。古代の、女性天文学者を追い込んでいく、初期キリスト教の公認宗教の冷酷な描き方、などは。圧巻にして稀有な。恐るべき価値転換の、ニーチェ 的描き方は。僕の脳天を打ち砕く、ので。本当に僕の、クリスチャン生活はがたがたである。それでも僕は、昔。ヘブライ語を教えてくれた加藤久美子先生(南山大学准教授)の、あの時受けたヘブライ語授業の、ノートを保存してあるので。昨日、池袋キンコーズに行って、二冊目の製本とし。つくづく見ると。その、圧巻の、ヘブライ語ノートの中に。ヨブ記の一節を見つけて、今更ながら読んで揺らぐ、自分の気持ちを抑えたのであるが。それは次の様なものである。ヨブ記から、「わたしなら、神に訴え・神にわたしの問題を任せるだろう。」。この箇所こそ、ヘブライ語勉強の最後の文章の一節で。それは、五章の八節の文章で。実に、印象的な予言的な言葉であるからこそ。僕は、さらなる、聖書の研究(内村鑑三的)をおこない。女優ワイズが演じた古代の、素晴らしい女性天文学者を死刑に追い込んでいく。初期キリスト教徒達がいかにも。ローマ帝国のキリスト教公認という、政治的勝利の結果すぐさま腐敗しつつ傲慢になり。今までの抑圧された憤懣を吹き出して、権力と結託し、真理を排撃する様の。政治的歴史的事実を知らされる僕の、クリスチャン仲間の、教会史的無様を。ビデオで何度も繰り返し観ながらホトホト。人間のやることの浅はかな無様を、嘆いて観ても。結局は、自分と同じの人間の所業を見るに過ぎず。それを追求せずに、神に任せて。モーセ・レプラ説という、恐るべきユダヤ民族史を。フロイトの説明ではなく、いかにももっともな常識説として、考える前段を。今日は書いたのであるが、きっと何がなにやら。さっぱりわからない、文章だと。祖父ネットの読者は、思うに違いないと思いながら。今日は、これまでとしたい。早く鬱陶しい梅雨が、本当に。開けてよ。と、天を睨んでお願いしている。ただし、以上の面倒な話を、Wikiで集めておいたので、ここで以下に貼り付けておきたい。どうもアレキではなく、アレク・サンドリアが正確の様だ。⚫️⚫️『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされている[1]が、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る[2]ヘブライ語で書かれている。『ヨブ記』では古より人間社会の中に存在していた神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられている。正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。⚫️⚫️『アレクサンドリア』(原題: Ágora)は、2009年に公開されたスペイン製作の映画。西暦4世紀、キリスト教が定着し異教の排斥が行なわれ始めた時代の、女性天文学ヒュパティアの学問に殉じた半生をアレクサンドリアを舞台に描く。天動説に疑問を感じ、何らかの地動説を肯定できる理由を模索し続けた彼女は、弟子のオレステスや奴隷のダオスに愛慕を受けるが、それを拒み研究に没頭してゆく。その一方でキリスト教徒は、自らの宗教の絶対性を民衆に訴え、古来の神々を愚弄する。ヒュパティアの父テオンらはこれに憤り、剣を抜いて応戦するも退けられ、クリスチャンである皇帝は異教徒の一方的な罪を宣告する。アレクサンドリアの大図書館は異教の魔窟として破壊され、異教徒には改宗か出国しか道は残されなかった。その中で改宗を拒み、青年たちに学問を教え続けるヒュパティアは、都の人々から魔女とみなされる。⚫️⚫️スペインのアメナーバル監督は、極めてキリスト教色の強い人なのだそうだ。その人が、ヒュパティアの物語を撮ることにあたっては、相当の覚悟を必要としたのではないか。アレクサンドリアときけば、科学や天文学が進んでいたことを思うが、歴史の中では、その芽が無残にも摘み取られてしまうことになる。その様子を、興味深く観ることになる。ヒュパティアは、自らの叡智を宿した、純潔の肉体をバラバラにされ、虐殺されるという非業の死を迎えることになるのだ。古代の神々、たとえば古代エジプトのオシリス神もそうであったことを考え合わせると、そのことが復活再生であり、再生を司るがゆえに殺害されたのだという逸話もわかる気がする。1600年を経て、アレハンドロ・アメナーバル監督のこのスペイン映画「アレクサンドリア」を観るとき、広大な宇宙の謎を解くことが目標だったヒロインの、数奇な運命を知ることは、とても興味深い。のちに、18世紀ヨーロッパロマン派詩人の間で、伝説の女性となったのもうなずけることである。それも、彼女が、史上最初の女性天文学者だからだ。科学が、宗教の前に敗れたのだ。そこから、暗黒の中世は幕を開けたのだ。宗教が科学を破る・・・、そんなシーンをいまの時代に見るとも思わなかったが、古代アレクサンドリアの街の再現(復元)は、史実に虚構を交錯させた歴史絵巻をつくりあげた。

ローマ帝国末期のアレクサンドリアを舞台に、大勢の登場人物を配し、スペクタクル史劇として観るかぎり、ドラマが壮大な作品のわりに、終盤のあっけなさは少々寂しい。21世紀のテクノロジーで、1600年の昔を体感する映画だ。⚫️⚫️

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 筒井友美・「帰る場所」

 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 筒井友美ホームページ https://tsutsui-tomomi.jimdofree.com (HP)

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下は近代でイメージされた、古代の天文学者。このイメージが映画に利用されている。

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筒井友美の個展会場での撮影。撮影者は僕。

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