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2020.08.03

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(417)8月3日 月曜日(千回を目指して)

「秦剛平」さんの訳した「最古の聖書」である七十人訳ギリシャ語聖書が現在ある様々な聖書の原型として相応しくない、と立証するのかどうかは。もはやどうでもいいことである。結局キリスト教と言うのは、長い歴史の中から、様々な変容をし。それがどのよなものであるか、と言うことはいたって大切なことである。が、一方そのことからわかることは。結局例え原本があっても、畢竟するに、それは言葉の重要性を強調したものに過ぎず。「言葉すなわち人間」と言う問題に行き着く、問題で。古代社会から構築されてきた人間の言葉の重要性を表す問題、と考える方が。内容があると思う。言葉すなわち魂、大和言葉でいうところの「言霊・ことだま」であって。これが人間にとって最重要なもので。言葉一つで、人間が死んだり生きたりする以上。宗教とは、結局その言霊の昇華したもので宗教とは言葉である。と言う結論に達する様な気がしないでもない。すでに一年以上になるが御殿場のYMCAで宿泊した時。広い敷地の奥の隣に昔からの神社があって、この神社が実に幽遠で朝方。散歩がてら濃霧の中を一人でその神社を歩いていると。実にその意味がわかってくるのであるが。日本の神社はことさらその言葉が精錬されていて。いかにも饒舌ではないが。その少ない幽玄な言葉の精錬された祝詞がなんとも言えず。日本人の神聖の意味を表しているのと比較し。聖書の饒舌なテキストは。隅から隅まで。神と人間との言葉のやり取りであり。徹底的にあの様な乾燥地帯で生じる言葉の宗教は、見事に神の幽玄と言葉とを結びつけて。何かと神と会話をし、神と意味の交換をすると言う場面が。次から次と展開するのが聖書であるが。それもこれも宗教の一形態なのであり、日本の山奥の神社の神との言葉のやりとりも。むしろ神の言葉を「聞く」と言う構造は。一見したところ。神との会話ではない様に思えるが、しかし、人間が。頭を下げてひたすら神の言葉を待つ、と言う神と人間の言葉のやりとりも。なかなかいいものであるとつくづく思うのでるが。しかし結局どれもこれも、神と人間との言葉のやり取りで。あり。太古から我々人間は神との言葉のやり取りで生きているのであり。その言葉のやりとりをキリスト教的に表現することがキリスト教なのであると。書かねばならない事態となったのは、僕の幸せとするところであるから。それをシュタンゲと言うドイツの神学者から学んで。僕は昨日来、そのシュタンゲの神学を盛んに読んで。コロナの激しいアタックを避けながら生きる、現代人の生き方を探っているのであるが。果たしてうまく表現できるものか自信はないが。ともあれ、やっと秦剛平さんからは卒業させてもらい。シュタンゲが出版された昭和九年の本を読みながら、自粛生活の日々を今日も過ごそうと思っているのであるが、やっと空は明けた様であるのは誠に嬉しい次第。で、再度カール・シュタンゲの経歴ををネットから転載しておきたい。で、今日は終わりたい。⚫️[生]1870.3.7. ハンブルク[没]1959.12.5. ゲッティンゲン。ドイツのルター派神学者。ハレ大学ケーニヒスベルク大学,グライフスワルト大学で教鞭をとり,1912年よりゲッティンゲン大学教授。ルター派の教義に基づきつつ,キリスト教的世界観と哲学的世界観の関係について研究。主著は『キリスト教と現代の世界観』 Christentum und moderne Weltanschauung (2巻,1911~14) ,『ルターと福音』 Luther und das Evangelium (53) 。⚫️

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 筒井友美・「帰る場所」

 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 筒井友美ホームページ https://tsutsui-tomomi.jimdofree.com (HP)

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下は私の油彩のコラージュ。

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下が、今読んでいる書籍。昭和九年刊行のもで、発行者は長崎書店、訳者は宮本武之助。私の師、山永武雄(白金教会牧師、フェイリス女学院院長)は、このシュタンゲを別の本で宮本と共同訳をしている。

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