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2020.08.06

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(420)8月6日 木曜日(千回を目指して)

ゴットホルト・エフライム・レッシングと言う人を教えてくれたのは、シュタンゲと言うドイツの神学者である。レッシングはヨーロッパ啓蒙思想の時代の人で。十七八世紀あたりである。十六、十七、十八、十九、20世紀と続く世界史ほど、わかりにくい時代はないと最近は思っている。のは、まさに、ヨーロッパというところはそれまで。一種のギリシャローマ時代として一括し、くくり上げることができるほど。静謐で芸術的な長い時代で(争いがないと言う意味ではない)。近世で激動の人類に生じてくる、あきれるばかりの激闘期が高まってくる時代なのである。と、解釈すると。近代文明は理解しやすいと最近わかるようになった。キリスト教的に言えば古代史は意外にわかりやすい。のは、いろいろ文献もあり。その中心部に「聖書」があるから。宗教的信仰的判断も古代的な単純判断の方が、人間の心の純度が高く。今の僕などにも安心して読めること、なのであり。それなりに得られるものも多くあるが、近現代史となると。人間の理屈もいたって個人的で勝手色彩が蔓延し始め。とてもうるさくなる。と言うのが、思想史の外観である。言うまでもなく、科学なるものが本格的になってきてこれが加わると。一気に人間の争いなども規模が拡大し、その殺戮の様も凄惨を極め。日本史的に言えば、いわば源平合戦のようなロマン的。ヤーヤー我れと思わんものは、前にいでよ、我れが相手になるぞ。などと喚き立てる戦争の様は。もはや歴史の闇に消え去る時となるのである。日本の文学は10世紀ごろの源氏物語が最初であるが、その始原の時に寄り添っているのが「かぐや姫」物語(竹取物語)である。その初めはいまは昔からはじまる。明らかに超絶の美の世界であって、現代風に言えば。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける、あやしがりて寄て見るに、「筒」の中光たり。とあると。どうも友人の画家の「筒」井氏の作品「帰る場所」を思い出すのも。いかにも現代的であると思いながら。要するに、日本でも10世紀ごろから出発する日本美の文学的表現が。現れる頃なのである。この辺りをさらに過ぎる世紀千五百年ごろから。世界文明もいよいよあやしげな様子となるが。シュタンゲ神学が明らかに近現代を時系列的に理解しながら。啓蒙主義の神学にも期待を寄せている姿を確認できたのが、ごく最近で。それを殊の外期待する朝となったと書くことは。わかってもらえないことだと思うので、Wikiで啓蒙時代を転載しておきたいと思う。⚫️啓蒙時代(けいもうじだい)は、ヨーロッパ啓蒙思想が主流となっていた17世紀後半から18世紀にかけての時代のこと。「啓蒙思想とは、聖書神学といった従来の権威を離れ」(このカッコは祖父ネット)、理性悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動である。この時代にはスコットランドフランス思想家たちが、特に重要な役割を果たした。政治と経済の面では、三十年戦争でヨーロッパを二分した政治的宗教的対立がやみ、絶対主義王権と重商主義が確立した時期に当たる。⚫️と、書かれているが。実はこの常識的な日本的啓蒙主義理解は、少し訂正を要すると、思いつつ。終わりたいと思うのである。その今日こそが、科学の粋を集約した広島原爆、被曝75年目の日であると思い出さざるをえない。朝となって。祈りて。

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 筒井友美・「帰る場所」

 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 筒井友美ホームページ https://tsutsui-tomomi.jimdofree.com (HP)

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下はレッシング。Wikiから。

Lessing_20200806062901

 

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