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2020.08.08

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(422)8月8日 土曜日(千回を目指して)

「理性とキリスト教」は、G.E.レッシングが書いた。レッシングとは、日本人にはおぼろの名の人で。キリスト教的啓蒙時代、を認識できない日本人には。かなり難しい人で、はないか。キリスト教系の学校で意識的、かどうか。この人を避けたのか、とも思えないこともないが。人間世界に「普遍理性」を意識させてくれた人と考えれば、少しはわかってくるのかもしれない。少なくとも私にとって。理性が、世に認識されたのが啓蒙時代と知らない不勉強な僕の。脳天を打った。近代社会的に、西洋的に言えば「理性」とは。認識されて初めて人間の中に生きてきたというのである。そういう認識だと思う。西洋人が理性という概念にこだわるのは、自分は理性を持っている、と今では。存在の普遍のあり方の基本にあるものとして。学校教育的に自分や誰にでもある。当然の人間の自分だと思っていた僕が。で、理性とはなにか、を考えねばならなくなった。古代社会では理性は神、西洋的に言えばイエス(言葉)、と言った、いわば宗教的なものが代替えしていたのであるか(日本は論語か)。あと人間は、主に戦いが生活の全面を覆い。本物の戦いに勝つことが、人間の生存のあり方であったのかとも想像できる。人と人は生存をめぐり常に戦っていたが(現在進行形)、それが生きる大半の目的であったのかもしれない。いわば動物的であるが、生存の枠組みを拡大しながら。一民族、一部族、一家族、親類縁者、地縁血縁として。生存を保障されながら。他民族、他家族、他人、他地域などといった、自他の戦いの中に。古代社会の社会構造が保たれていたのかもしれない。と、思うようになった。それで、説明すると。中国の帝国も、ローマ帝国も、他のアジアの帝国も説明しやすい。そこに、いわば近代理性、つまり今では現代人間一般にあると思われている、普遍の意味の理性主義は存在せず。そういった中にいわばレッシングは、理性爆弾なるものを投げ込んだのかもしれない。聖書的イエス基準が社会基準となって理性化していた(教会的信仰として)、ヨーロッパ教会の絶対権力のもとで。中世社会の理性は、このような構造になっていたのかもしれない。と、考えると。自己のなかにある近代的普遍的人間理性を考えついたレッシングは、一体何者であるか。と、思ったのである。で最後にレッシングをwikiで⚫️ゴットホルト・エフライム・レッシング(Gotthold Ephraim Lessing, 1729年1月22日 - 1781年 2月15日)は、ドイツ詩人劇作家思想家批評家。ドイツ啓蒙思想の代表的な人物であり、フランス古典主義からの解放を目指し、ドイツ文学のその後のあり方を決めた人物である。その活動は、ゲーテシラーカントヤコービハーマンヘルダーメンデルスゾーンなど当時のドイツ文学・思想に多大な影響を及ぼした。西洋近代の転生説を最初に明記した人物と言われており[1]、この転生思想は現代日本への影響も大きい。また彼の死後、文学・哲学界でいわゆる「スピノザ論争」がおきた。⚫️で、ただならぬ人物であるが。暑い夏だね。

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 筒井友美・「帰る場所」。

 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 筒井友美ホームページ https://tsutsui-tomomi.jimdofree.com (HP)

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下は、今石油が出ると騒がれている茨城県五浦の。岡倉天心の墓。近代現代の日本の、自覚的理性者の代表として。実写。

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近くの海岸。実写。

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五浦・天心の墓のそばの草むら。草むらまで日本画の美をあらわす。実写。

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五浦の天心画塾。近代日本画の発祥したところ。実写。

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下はレッシング。

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