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2020.08.04

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(418)8月4日 火曜日(千回を目指して)

ゴットホルト・エフライム・レッシングと言う人を教えてくれたのは、シュタンゲと言う神学者である。そのシュタンゲの経歴を書いたのは、昨日。であるが。さらに今日も敬意を評して、くどくシュタンゲを貼り付けておきたい。⚫️[生]1870.3.7. ハンブルク[没]1959.12.5. ゲッティンゲン。ドイツのルター派神学者。ハレ大学ケーニヒスベルク大学,グライフスワルト大学で教鞭をとり,1912年よりゲッティンゲン大学教授。ルター派の教義に基づきつつ,キリスト教的世界観と哲学的世界観の関係について研究。主著は『キリスト教と現代の世界観』 Christentum und moderne Weltanschauung (2巻,1911~14) ,『ルターと福音』 Luther und das Evangelium (53) 。⚫️のは、何度も言う様にシュタンゲは、私の師山永武雄(白金教会牧師・フェイリス女学院院長)の翻訳したものであるからで。レッシング、と言う人を知らなかったが。なんとなく耳に残る人とはいえ、内容は全くわからなかった。が、シュタンゲ本から教えてもらった(今読んでいるシュタンゲは山永先生の翻訳では無い)。ドイツがギリシャに次ぐ哲学の国であることはわかっていたが。その内容となると全く勉強ができていないママ、今日に至った。勉強をしてみると面白い。特に哲学と神学が組み合わせてあって、なるほど。ギリシャとヘブライが組みになっている、初期のキリスト教は哲学と神学の組み合わせにしないと。全貌を理解することができないと、さらにつくづく知った。明治学院で勉強していたから、その萌芽は身に付いている。が、内容が伴わない。高校から大学に行く時、同級生の中から日大の哲学科に行った友人がいた。二三年前。僕の個展の時久しぶりであったが、全く哲学の匂いのしないタイヤ屋のオヤジになっていて、じっくりと話せば。何かを引き出せるのかとも、思うのであるがもはや時間が無い。で、僕も哲学科では進学の時少し、迷ったが、結局そのまま文学部に行って。哲学に触れたのはわずかである。進学しカントの純粋理性批判、を読むことになったが。今思うと。カントたちが頑張って、なんとか近代理性を人間の目の前に引き出した時のドイツは。20世紀。とんでもないことをする国になってしまった、と言う流れとして理解はできなかった。18世紀、19世紀、そして20世紀。人間理性は傷つき傷つきあまりにも馬鹿げた殺戮の世紀を乗り切っていたのであるが。今思うと呆れた話しで。理性など技術の前で逼塞してしまい。技術を生み出した理性そのものに反撃されたまま今日を迎えている。いよいよその技術で。宇宙商業計画が本格化すると言うのだから。大丈夫かね。と思うのもあながち間違ってはいない。要するにこの歳で省みるに。理性というものだけでは、この巨大な技術をコントロールすることなどまず持ってできるものでは無いと。知ることからもう一度、人間を哲学的神学的に見つめ直し。さらに人間に特有な歴史性を見つめ直してもいいのでは無いかと。シュタンゲを読み山永武雄先生を思い出し書きながら、意外に静かな心の落ち着きを取り戻しているコロナ朝になった。

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 筒井友美・「帰る場所」

 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 筒井友美ホームページ https://tsutsui-tomomi.jimdofree.com (HP)

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下は山永武雄師。フェイリス女学院院長宅。

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下は、哲学者にして神学者のレッシング。

Lessing

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