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2020.09.17

永遠の生命と、人間存在の希望の研究(463)9月17日 木曜日(千回を目指して)

郷司慥爾(日本基督教団白金教会・創業第一代牧師)解説の「黙示録」を読んで。さらに、16世紀のカルヴァンの「ローマ書」の註解を読むと。近代社会の現代でない人々の、中世的なものから少し脱却し始めた頃の息遣い、が聞こえてくる。カルヴァンは、その註解書の中で次のように「人間」を描く。先日書いた、暗殺されたトロッキーが。彼の人生の、基礎理論とした、性質を異にする同じ弁証法(弁証法的唯物論的無神論)であるが。ロマ書の著者パウロによって、「義」が書かれるときは。有神論的弁証法で書かれる。我々人間(カルヴァンを含む)は、聖書による福音以外で、人間の救いは(福音)、人間に与えられていないとすれば(前提として人間は堕罪している)。それを証明するには、福音書を。弁証法的に解釈する以外にはないと、カルヴァンは書く。そこでカルヴァンは、パウロの弁証法で救いを説明する(意見と反対意見の対立と矛盾とを通じて論理する論)。福音書では、福音だけにしか人間の救いは見出されない、と解釈するので。そこで人間は、罪に定められているから。それは、世界の美わしい構成、諸元素の心地よい配列(当時、科学はあったのか、どうかわからないが)、は人々を励まして。神に栄光を帰する以外にはない、と思わしめるから。見てごらんなさい、スイスの此の美しい自然は、見事でしょう、どう見ても神がお造りになったと解釈せざるを得ないのに。人間を美しくする「義」を、なぜか誰一人として果たすものは「いない」、という此の現実を。あの見事なマッターホルンの前で、告白せざるを得ないではありませんか。毎日の、人間営為の、罪的現実を、認めざるを得ないという事実も、あるではありませんか皆さん。と、そこで、全ての人間が、涜神の、罪ある邪悪なもの忌むべき忘恩の者、として認識せざるを得ない、ではありませんか。此のスイスの(彼はフランス人でパリで神学を勉強していた人)、なんとも美しい自然の前で。どうしても自分の罪を認識せざるを得ないのです。という内容である。これが、カルヴァンの中心的な主題で、懺悔について。パウロが演繹(一般的な前提から、経験に頼らず論理によって個別の結論を導き出す事)を、始めるのだと僕(カルヴァン)は考えます、ということを、41ページ(渡辺信夫訳・カルヴァン・新約聖書註解・ローマ書・新教出版社・2005年刊行)と。カルヴァンは書いている、のだとカルヴァンを今朝は読んで。秋だね。

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 筒井友美・「帰る場所」。

 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 筒井友美ホームページ https://tsutsui-tomomi.jimdofree.com (HP)

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僕が実写したマッターホルンです。

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