8-91 池田満寿夫さんを読む
熱海に小旅行を試みた。ついでに「池田満寿夫さんの家」を訪ねた。
といっても「さん」付にするほど親しい訳ではない。それに少し年上の人ですでにこの世にいない人である。画家池田満寿夫と言われたり、版画家や小説家、あるいはエロ事師などと言う人もいたのではないか。そこは美術館でかつての彼の住まいとアトリエである。そこで彼は死んだ、63歳だった。
熱海駅に近いので時間のある人は訪ねるといい。彼の精神は清新で高いのであり、社会はある程度嫉妬と羨望を彼に投げかけた。あまりにも絵がうまく、日本のピカソと言われていたが、彼はピカソを師とすると公言していた。まねておそれず、ピカソの絵をこよなく愛していた。そこで本を買った。「美の値段」という本である。今盛んに読んでいる。
絵の値段の裏話であるが、真実をつく。私もプロの絵の世界を若いときに覗いてみていた。その後離れて少しは楽な道を選んだ。どのみちも所詮苦しいのであるが、リックサックの中身は絵の方が重い。絵画の世界のつらさは実用と関係がないことである。実用と関係のない世界で、実用的な生活を送ろうとすればそれは苦しいに決まっている。
宗教もそういったところが似ていて、ある意味では絵画より厳しいのは言うまでもない。
池田さんが世界的に有名になり、日本でも遅まきながら認めざるを得なかった。渋々絵画界は彼の才能を認めたのである。先ず世界が彼を認め、その次に自国民に認められた。どちらにしても素晴らしいものは、素晴らしい。彼のよいところは精神の自由に挑戦したところである。絵とエロは彼の道具であって、小説も書いた。たちまち芥川賞を取って世間を驚かせた。それで映画も作り監督として辣腕をふるった。
疲れたとき彼の絵を観ているといい。精神の自由とは何かが分かるはずである。池田よりピカソがもっといいのは、ピカソがその道を開いたからである。あらゆる抽象画は20世紀の厳しい現実から人間の精神を解き放った。
今は21世紀、何か創造的な絵画が生まれる時でなくてはならない。みんな必死で努力中である。










