絵画と杉山勝己画廊

絵画

2019.06.10

永遠の生命と、水彩画の構築とウィーンヴィデオのパソコントラブル

 表題の件は、僕をすっかり戸惑わせた。昨日はヤマダ電機、ビックパソコン館、ワイモバイルと三箇所を回り。結局僕が自分で直に、家で台湾シャープに電話をしなければならない、という経験をした。不思議なことに、水彩画用紙の件も、自分で電話して販売元のクサカベに電話をして解決した。が、どれもそれらの、それの場所が分断的になっていて、正しく商品情報を統合することができない、現実社会の商売の現実から、起きてくる、とわかったのはいい勉強になった。ヴィデオのトラブルは、マックのパソコンから始まったが、僕の使うMacBook Proそのものの欠陥ではない。ということから、問題は生じた。要するに、僕の長いパソコンライフから僕の経験として、パソコンに内蔵されたDVDが不具合である、という僕の間違った先読みの認識は、かなり前から内在していたのは、単に。調子が悪から、いよいよ壊れたか、という、以前にできていた認識が起点である。その不具合は、他愛のないもので。今では不具合ではない、とわかる。僕がウィーンDVDを使っているときには、ベットの上で足を投げ出し、その上でパソコンを見ていた。それが、原因である。あるいはウィーンを描くために、ベッドの上に置いて、その側にキャンバスを立てて、それでヴィデオを見ていた、からなのだ。他愛もない原因はそれで、パソコンがDVDに必要な、デリケートな水平を維持できず、少し傾ぐので。DVDがその傾き具合によって、カサコソと音を出していたのである。それが、いよいよ寿命であるか、と思っていたので。それでさらに、ヴィデオの画像がさらに、飛び始めたので。その原因が、まさか傾きであるとは思っても、いなかったのである。ヴィデオそのものは、20年前のもので。それは以前から見ていたが、絵画的環境設定をしたのは、なんどもここで言っているように、ウィーン水彩画を描くためである。画家としての定点描きは宿命であるが、それでもっぱら油彩では自分の撮った写真を利用していた。フランスの印象派の画家たちも、アジェたち写真家の写真を利用していたのは、わかっていた。今の時代であれば、ネット上から他人の写真の利用、も可能。なので、それすら利用していた僕は悪人である。で、まさか。自分が撮っていたウィーンのヴィデオが、絵画に利用できるとは思っても見なかったのである。しかし、水彩画は、もともと精密画は描けない。基本画材が水である以上、油彩のような硬いものは不可能なのである。で、まさかこれで、絵画のジャンルで軽く扱われる水彩画の現実を知っていたから、僕も長い間それだった。で、この歳になって道具立のくどい油から卒業せざる得ず、しかし絵は描きたし売りたし、という自分の欲求から。世界堂の画家に相談し水彩に至っていたのである。それとて、約2年も前の話で、なかなかうまくはいかなかった。試行錯誤を繰り返し、ウィーンをモチーフに選びたくなって、20年前のヴィデオを再見したところふと。気に入った場面を一度止めて、その場所に立つ自分。のキャンバスをそこにたてていると、仮定して。その場面を見て、びっくりした。僕は、いつの間にか、ウィーンにいて、その場所にキャンバスを立て、描いている想像が成立した。のには、自分ながらびっくりした。僕は、いつの間にかオペラハウスの前にキャンバスを立てて、ズーズーしく絵を描いている、ではないか。ということを発見した。僕は、不具合のヴィデオを直すべく、ビックパソコン館に行った。久しぶりである。で、解決の前に様々な現代的不統一を経験していた、ということなのである。わからないかな、この説明では。今日もウィーンを描く。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

下のヴィデオショートカットは、全部僕が撮影したものです。絵を描くために今利用中です。

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2019.06.08

永遠の生命と、水彩画の構築とウィーンの地図

 僕は今、ウィーンの20年前のヴィデオを見ながら、水彩画に利用できる場面を探している、ということは書いた。が、自分もそのヴィデオ(自分で撮影)を見ながら、油絵に利用としていた自分を思い出している。油の場合、結局静止画でないと利用はできない。その時、水彩画という目標は全くなかった。世界堂の画家から示唆を受けて、水彩画も面白いと思い随分時間が経過したが、どれも無駄な時間ではない。どれも貴重な、水彩画の現在形を進める上で、どれも皆、素晴らしい努力なのだ。で、達したのは同じヴィデオ(120分)を100回ばかり見ることである。見ることか、観ることかは定かではないが、その程度見なければウィーンを描くなどという営為には及ぶものではない。この「100回見」を覚えたのは津波動画を散々、何度も見たからである。何度も見ると、もちろん言葉にできない僕の心の中に、一杯津波情報が入ったが、それはそれに対処した人間を研究していたのである。浅くない結論は深すぎて書けないが、深いと言ってこれほど深い思いもない。浅丘ルリ子のブロマイドを親父に内緒で、何度も穴のあくほど見ていた二十歳前の自分を思い出している。いい思い出だ。その思いに近いものが、津波動画にはある。そこに人間が感じる深い想い。は、そうすることによって僕に、深く伝わる。それで、僕は自分で撮ったウィーンヴィデオを最低100回は観る決心をした。その上で、そのヴィデオを撮影したウィーンの、その時の地図まで出して、ヴィデオの撮影場所を見ながら、なるほどここらを歩いていたのだな、ここらで市電に乗ったな、ここがヴェートーヴェンの森、かなどと頭に描き、その全体の流れの中で、僕が今、ウィーンの水彩画を描こうということなのである。この想定はかなりスケールが大きく、描いた絵をネットで売る計画でもあるから、時代には逆らってはいない。買っていただいて、その人の部屋を飾るのであるが、飾るにふさわしい絵にするべく、努力することの楽しさは、人生も最高の経験である、と思っている。のだ。で、実行するのであるが、その前に、僕はくどくここで書いて。僕の絵描きとしての心がけを披露したのである。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

下の写真はウィーンヴィデオのごく一部から、切り取ったもの。しかし今や、ショートカットは必要がなく、ヴィデオを停止して描けば描けることも経験済みである。ともあれ、同じウィーンヴィデオで何度も見ることが大切である。絵画的感興は、そこから生まれる、と信じている。動画の停止箇所は絵画的に見ても無数にある。

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2019.06.01

永遠の生命と絵画のネット販売構築

 絵画のネット販売、と言う高い志を持っているのは、僕だけであるかもしれない。販売構造は二つのネット機能で考えている。一つはこのココログの機能(有料)を使うもの、もう一つはWIXという無料のものである。いうまでもないが、WIX有料画廊を開設していたが、有料期限が過ぎたので無料ネットに戻った。そこで、今更ながらWIXにお金を払う気がないので、大幅に機能低下した無料WIX機能を使って、そのまま絵画を売ろうという魂胆である。それは可能か。僕は可能と見ている。少し準備に入ったが、一方肝心の絵画制作は順調である。絵画そのものが良いものでなければ、いうまでもなく絵は売れない。しかし、それには、今までの経緯から自信はある。それよりネット販売という方法が、果たして通用するのか、興味がある。有料の前回は惨敗であるが、経験とは恐ろしいもので、以前の惨敗経験がなんとなく生きていて。もちろん売れるというより、一段高い状況で。販売を可能にしてみたいのだ。で。まずWIXの既存画廊(杉山勝己画廊)を今整備している。その上、妻がスマホを持つようになったので、画廊での販売の見え方を確認できる。今まではガラケーであるから、イマイチWIX画廊の見え方がわからなかった。しかし、今はすぐ確認できるから、なるほど。と、思いながら飾り付けをしている。一方、作品制作は水彩方式を主軸にし、油彩を放棄せず。油彩と、水彩の特徴をフルに生かした、絵画ネット販売を目指しているのである。画家を志す(画家で生活したい芸術家のこと)人が、参考になるようなものを創るのが、僕の生きがいで、それには自分で実験しなければならない。もちろん画家が画廊を自らが持つ、という実験はタダならないことは、いうまでもない。小説などは、アクセス量を図りながら書くことができるが、あくまでも無料でも、それを有料化するのは意外に難しいことである。だが、絵画はむしろ印刷できない一品もの、という大きな制約があるから。その呆れるばかりの困難を利用して。このような、恐ろしい言わば社会の変動。が、面白い変化であると積極的に受け留め。ネット宗教に引っ掛けて言えば、宗教は無限大の問題(永遠の生命)がテーマだから、社会で一番弱いようで、一番やりがいのある機能と、思っているのである。で、僕は「永遠の生命」と価値の高いこの世的絵画制作とを絡める仕事、として。愉悦この上もない。ということに、なる。わけだ。

 

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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僕が昔、浅間山を描いて示現会に出品した時のものです。100号(畳ぐらいでかい)で油彩です。

 

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永遠の生命と画家佐伯祐三の幸せ

 武蔵野美術大学で学んだ画家が、佐伯祐三のアトリエ(公園になっている)を見てくれたと知った時は、嬉しかった。僕のローマ字愛好は、佐伯の影響と明治学院の創業者ヘボン、の影響であることは言うまでもない。佐伯は大阪の裕福な寺の息子で、裕福であるがゆえに美校(今の芸大)にいく。早速アトリエなども東京落合に建ててもらいドンドとパリに行く。そのパリでローマ字に巻き込まれるのは、当然のことで。いろいろあって野獣派と言われる農場をやっているブラマンクに、絵を見せると。お前のはアカデミズムだよ、と揶揄され。がっくりきたものの気を取り直し、ドンドドンドと描き込んでいくが、最後は頭がおかしくなるほどのめり込んで死ぬのは、有名な話でなのである。僕などは、ローマ字の本場ヘボンの明治学院に10年もいたから、それも戦後で。ドンドとやる前に、日本に勝ったアメリカ嫌いが先に立って、助かったものの。佐伯カフェーのローマ字には、ほとほと参るほど、魅了された。ので、僕は結局カフェーなどを描く画家になった。そのおかげで、絵も売れたばかりか、東京などは、まさに佐伯祐三街に、なっているが、それは佐伯の前衛があってこそできたことだとは、誰も今は思ってくれない。ので、僕の友人の画家が、佐伯アトリエをやっと、訪れてくれた。それも中村彝アトリエも。見てくれたと言うのには、僕は満足したのである。確かに、ローマ字など今は平凡で、今後の世界の世界語文字であるが。ローマ字に代表される欧米文化は、これからのAI文化社会のベースになっていて。そのローマ字を芸術として表現した佐伯の先行性を、僕は高く評価するわけである。実は僕は、今。街に溢れているカフェーのローマ字を、さらに絵画として描いて売り出したいのである。が今は、街に出て、画家として。そのローマ字場で描くことには、いろいろ障害がありすぎる。例えば銀座で描こうと思っても、その店の前でキャンバスを立てることなど、とても出来ない相談なのである。しかし、現場で溢れる魅力を描くことこそ、実は大切な画家の作業なのであるが。それを、比較的小さな作品に仕立て、とても素晴らしい絵画としてネットで売るプランは、すでに完成しているのだから、あとは実行するのみの。僕なのであると思ってはいるが。それができないのでカメラを利用していたのであるが、それももはや僕には少し一歩後退的な感じがあって直に描く方法はと、いろいろ暗中模索していたのである。佐伯の時代などは、パリのモチーフの前で、堂々とキャンバスを立てて描いたのは当然であるが、その結果の迫力を超えるのが僕の目的で。そう言った僕の主目的は、友人の大学(美校)出の友人に何かと、その方法を教わっている。しかし、友人の現代画家は現代画家で、今後目指す絵画の方向に悩んでいて。昔のことなどを回顧していても一向に、生活は立たず。まして将来のある身としては、気の毒に。その生活の場を見出せないで苦しんでいると言うのが、実情である。が、もちろん、それはいつの時代でも同じで、画家で人生を立てる、ことほど苦しいことはないのであるが。これ以上の職業は他にないのも、人生の本当の姿なのであると、誰も知っているのである。その恵まれた高い職業を「我が物」にすることは、言うまでもなく容易ではない。と、思いながら街を歩いた昨日、であった。世界堂で、水彩画用紙を手に入れ、なるべく街で描く方法を実行する、と言う僕の勇気は容易には実現しないが、準備は着々と整いつつある。

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 筒井友美作品。

 「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

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これが、佐伯祐三の有名はカフェー画、僕は若い時に非常に魅了された。が、今では、僕の方がうまいと思っている。

 

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2019.05.26

永遠の生命と銀座の風景

 銀座か、銀座ね。僕の友人も銀座を撤退した家族で、結局続かなかった学友である。あいつが少しでもキリスト教的であれば、こんなことにはならなかった、と思う。それが、あの兄弟でもあんなに銀座教会に近いのに、通った形跡はまるでない。たまに、僕と一緒に行ったことはある。が、単独で、全く近くのその教会に行ったということを僕に話したことがない。キリスト教というのはマイナーに終わる人生をプラスに終わらせる宗教に過ぎない。人生は宗教抜きに言えば、初めは五体満足でそれが徐々に毀損して死ぬ動物である。もちろん言うまでもないが、五体満足とは神話に過ぎない。が、概ねそうなのである。それが99パーセントなのか、五十パーセントなのかということではない。概ね百パーセントなのだ。それも知らず(親の恩も知らず)ぬくぬくと毀損しつつ生きる人間が、また親になって百パーセントを信じて子供を産むのである。で、繰り返すわけであるが、歳をとって「基督教のつまずき」でブルンナーの弁証法神学を読んでいると、なるほどこれは西洋神学が達した高みか、とつくづく思うのである。弁証法という、矛盾の法は見事に説明されるのであるが、なかなか電車で揺られながら読む本も、大いに味がある。肝心の展覧会はグループ展で、示現会という大絵画界に属する僕の友人が、地域社会のグループに入って腕を発揮する展覧会である。概ね人間関係で成り立つものであるが、彼を除いては多くは下手絵である。そう言った下手絵でも一人一人の、絵画に対する真剣さは見事なもので、おおむねローカルであってもかなり大判の作品となっていて、呆れてしまう。でかければ、いいというものではない。し、少しは恥ずかしそうに晒さないで、描いてみる勇気などはないのであろう。が、誰でも今は多少の小金を持っているらしく、銀座の馬鹿ブランドなんどに金を使わず画材に金を使う人たちの趣味を、大いに賞賛した。その会場は二階で、一階にはドトールが入っていて、その安くて美味いコーヒーこそ、僕のお高く止まった銀座の僕の友人の家を潰した、現代システムのコーヒー屋さんであると、僕は知るが。ドトールは僕の特愛のコーヒーで、その安さとサロン的便利さは人々の賞賛を受けている。絵画などは、そこに行くと。やはり僕の友人と同じで、お高くとまるから、結局庶民受けをぜず、さらに滅びる運命にあるが。それでも描くという行為は人々が惹きつけられるから、所詮絵画が滅びるなどということは、ない。であるが、絵画行動を生活の糧にするプロの画家にとっては、いかにも自家製のケーキと戦って敗れる、ケーキ屋さんと同じように。消滅の方向を取る、などと悲観的に考えたところで、何の意味もあるわけではない。プロなのだから、色々工夫し、絵画が持つ高い志を維持しかつそれを職業とできる人は稀なのである、と知る。僕はそう言った人々を知っているし、そう言った人々が、昔から苦労する姿は、僕も知っている。だから、銀座の表面的な風景にはすでに興味はないのは、僕が本物のヨーロッパを多少知るからで僕はあの時に撮り溜めた写真を元に、僕の水彩画をさらに描いて、それをネットで売るという決心を、僕はコーヒーを飲みながら友人に話した。画家は、誰も頼れるわけではない。自分を信じていくしか道などないのである。銀座のローマ字風景は、僕の特段の愛する風景であるが、僕はそんなものを描く手間を考えたら、今更。そんなことより、自分のパソコンにしっかり撮り溜めしている、パリやウィーンやジュネーブ、ベルン、チューリッヒ、ミラノやローマ、ヴェニス、ヴェノーラのそれをきっちりと利用する僕の水彩画の手法は、すでに確立しているのだと、自信をつけて家に帰った。

 

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この絵は僕の若い時に描いたもの。下の動画は、本物のプロが描いたもの。

 筒井友美展「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

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2019.05.21

永遠の生命と進歩の概念、少年興亜讃美歌第一番、と世界堂

 僕の友達が軍歌だね、と言った興亜讃美歌少年版。その一番の歌詞を読みながら(国会図書館デジタルから)いささか考えている。いうまでものないが、僕がまだ三歳か四歳の時で。父は零戦の地下製造工場建設現場で設計監理者として働いていた。頃にできた讃美歌である。例えばこうだ。題名は祖国日本。そのはじめの部分を書いてみよう。よろず代かわらぬ 御座(みくら、と読ませるがワープロで出ない)にのぼり 皇国(みくに、と読ませて、ワープロに出ない)を統べます すめらぎ尊(字が潰れて読めないが、とうとし、か)など、天皇の尊貴を歌っている。が、イエスキリストや神は出てこない。これが明治学院など当時の指導者が、指導してできた讃美歌である。この現実を前にして、絶対天皇制の怖さを感じるのは僕ばかりではないと思う。

 要するに人間が人間を支配する究極のフォームなのであろう。これを愛国主義、という言葉で呼んだ時代だった。このような天皇制は敗戦後でも、徹底的な排撃を見事に回避している。それが、日本文化の良い面でもあるか。令和という時代のネーミングは、日本独特のもので、世界中が面白がる。のも、この日本の特殊性が面白いのであろう。日本が戦後、敵国の文化を借りて平和憲法を生み出しても、それは借り物であるなどという日本人も未だ絶えない。世界を平和に保ち、なんとか破滅を回避したいのは誰も同じであろう。だがしかし、現実はついに世界的な激突を明日に迎えているような、怪しい雰囲気が漂う。と見るのは、私のような老人だけだろうか。これは、人間全体世界中で深く考えなければ、ならないことである。昨日、池袋パルコの世界堂で画材を買った。ここのところ水彩画を描いていて、ここでも(祖父ネット)その喜びを書いている。絵を描くということは、僕にとっては原爆の図を描くことではない。僕はそれよりも近くの公園の緑のくさぐさや、大木を描くのが好きなのだ。僕は、父が信州で零戦工場の建設に汗を流している時、そんなことは全く知らずに。そこいらのくさぐさや杏やホタルやトンボや川魚や山や谷や、を駆け抜けたりして、遊んでばかりいたのである。近所の子が、都会っ子の僕を珍しがって、いじめたりしたのであろうとしても(記憶にない)、子供だからいつか僕も仲間になって、子供らは猿のように素早い集団となり、あの山や谷や川やを、飛び回っていたのである。で、僕は、平和が好きなのだ。で、僕はくさぐさが好きなのだ。野辺に咲く小さな花は僕が特に好きなもので、何の気なしに見ていて、そこに僕はここにいる、という風に語りかけて来るのが好きなのだ。で、つくずく、美しいと思うのだ。で、僕は。世界堂で、一番高い水彩画用紙を買い、一番高い水彩絵の具を使って、くさはらに座り込んで絵を描くのだ。顔なじみの画家でもある世界堂のT氏は、僕に。来年は世界堂が80年周年記念なのですが、何かいい企画がないですか、と問うてくれた。ので、僕は、平和こそ絵画のベースである、と力説して。テーマは「平和の絵画」、にしてもらいと言ったのである。もちろん絵画史では戦争画なども有名であるが、本来聖歌であるべき興亜讃美歌などにも、想像を絶する戦争思想が作曲されているが。しかし、僕は。これからの世界は(世界堂は)、つまり第三次世界大戦を避けるには。僕の愛する絵画の世界しかないと、強調したいと思ったのである。それは、僕が、幼児期。信州の佐久で自然から教わった、何ものにも変えられない、絵画の尊さの象徴であると、僕は主張したいのだ。僕は、今も。佐久美術館の友の会に属する不良会員であるが、それは僕の思い込みである片思いの、郷里として。それが、僕の価値観の絵画的高さの象徴なのであると、T氏に提案したのは。僕の老人としての人生の快挙、なのだと。言って。世界に平和があってこその、絵画であるのは言うまでもない。と、言って帰ってきたのである。

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筒井友美作品。「帰る場所」、 https://m.youtube.com/watch?v=uhejKeFZBGc

 

 

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2019.03.08

杉山勝己絵画個展(その2)

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2019.03.06

杉山勝己絵画個展(その1)

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2018.10.19

永遠の生命と東電OL殺人事件

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2018.10.15

加守田次郎絵画展のお知らせ

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